二〇〇六年 六月 二十三日(金)

旧暦 二〇〇六年五月二十八日 友引


慰霊の日

お題「平和の礎に身内の名がある」
A・「はい」63%
B・「いいえ」37%

@本日のボツメール1 RN:オバーの枕元の電灯
「(前略)おばーのカメーカメー攻撃には笑ってしまうけど、カメーカメーする裏には戦時中、戦争直後に食糧難だったのがあるんだよな~(後略)」

@本日のボツメール2 RN:かーこちん
「88歳になるママの兄弟がのってます。だけどママは行かないね。魂はそこにないって言ってる。」


みんなは、今日なにを思った?

投稿者 Melody : 2006年06月23日 18:28


コメント


今日はちゃんと黙祷しました。俺のとーちゃんの足には戦時中とーちゃんの弟に当たった弾が貫通して今だに入ってる。その時弟は亡くなってしまい弟との思い出なのか、取り出さないとーちゃんがいる。とーちゃんにとっては戦争は終わってないんだろうなぁ。

投稿者 ももじ : 2006年06月23日 19:03



ひ-ぷさん、お疲れ様です!
今日は、仕事休みだったし、子供たちも学校休みだったから、
慰霊の日の意味を、子供たちにおしえたよ!
自分も、くわしくは、わからないけど・・・・
長男は、「小2年生」真剣に耳かたむけて聞いてくれたよ!
「質問攻めで困ったけど・・・」最近の子は、この世の中何でも手に入るって思うバカしかいないから、今日の日で、いろいろ反省してほしいね!「大変な時代もあった」ってことを・・・・・・

ps
オリジンって那覇の地域しか聴けないんだねぇ-??
昨日一生懸命チャンネル合わしてたけど、じらじらぁ-して聴けなかったヽ(´~`; ォィォィ
だから、パソコンで聴いたからね(*´∇`*)
ちなみに、ひ-ぷさんのタイプの女性がわかる気がしました(*/∇\*)キャ

投稿者 吉本ガ-ル : 2006年06月23日 19:13



なんか…毎年この日になると考えさせられますね。
今、俺達は平和で普通にご飯も食べれて暮らして行けるけど、過去に「戦争」という痛ましい事実があった事を一生忘れてはならないし、子や孫にも伝えて行く事が大事ですよね。
慰霊の日に休みの学生達は、この日がただの休みとは違うって事だけでも認識して欲しいですね。俺達に出来る事って、限られてるかも知れませんが、「この日を忘れない」のと「黙祷」ぐらいはしましょうね!

投稿者 ともぶん : 2006年06月23日 20:00



やはり平和の礎には、オジーの兄弟とおじさんの名前が刻まれてるそうです。

投稿者 ともぶん : 2006年06月23日 20:51



歴史 風化させない

世界の平和沖縄から

戦争やっても何も残らない
悲しみが残るだけ

なぜか
仕事中涙が・・・

俺も子を亡くした「病気で」
だから戦争で身内を亡くした
人たちの悲しい気持ちは分かる

投稿者 ka~bo~ : 2006年06月23日 21:50



 今日、慰霊の日って昨日まで覚えてたんだけど、午前中忙しくて、正午に黙祷するの忘れてました。
 小学生の頃は父ちゃんによく戦争&戦後の話を聞かされ、防空壕に入る歌まで覚えさせられました。
 あの頃はわったー父ちゃんはカニハンディテルのかと思ったけど、あれはあれで、父ちゃんの戦争の怖さを伝える話だったのかなぁと最近思います。
 もう、亡くなってしまったんで、本心は聞けませんが・・・。
 今日できなかったので、近いうちに嫁と一緒に「平和の礎」に行って亡くなられた方々へ手を合わせてきたいと思います。

投稿者 隊長 : 2006年06月23日 23:31



ヒープーにぃー、きのうのてぃーパラはおもしろかった。胸が苦しくなる内容もあったけど、今の平和に甘えて逃げちゃいけないと思い最後までラジオの側を離れなかった(仕事さぼったわけじゃないよ)今日、大城籐六先生に会います。大城先生は元沖縄県教育委員会の会長で平和の礎の発起人です。堅物のイメージがありますが、とても気さくな方で、ヤーンクシのオジーって感じです。昨日のてぃーパラリスナーの戦争に対する話、平和の礎への思いを伝えたいと思います。

投稿者 うっちん米 : 2006年06月24日 07:14



戦争は、戦後61年たった今も多くの人の心に深い傷跡を残している。戦争体験者、遺族にとっては、まだ戦争は終わっていないと思いました。改めて、戦争の愚かさ、命の尊さ、平和の尊さについて考えさせられました。

投稿者 静香 : 2006年06月24日 17:32



『ティーパラ』って生活密着型の話題が多いから、リスナーも普通の『ラジオ』より自然と身近に感じてると思うわけ。身内に戦争の『生き証人』もいなくて、周りに教えられる機会もない人達は、ティーパラを通して触れることで『身近』に感じて、戦争とか平和とか命とか、関心を持つきっかけになるといいなぁと思いました!

投稿者 まめ吾郎☆ : 2006年06月26日 09:24



・・・・ちゃんと黙祷しました。
 すごく、考えさせられる日ですね。
 私の父の両親、兄弟も戦争で亡くなりました。
又、私の母も手に弾があたり、まだ 破片が残っています。その破片は手術では取り出すのは不可能との事・・。
 未だに、手がはれたり、痛みが出ます。
ひぃぷぅ~さん戦争って何なんですかね?
 心がしめつけられる思いがします。
知ってますか?
戦争で負傷したけど、日本軍に協力して(手伝う)負傷したのでなければ国からの補助(?)はないって・・・。
 日本軍に協力って何ですか?
遺族を亡くされた方や負傷した方にとって昨日の事のような出来事。私は母から話を聞いて現実にあった話とは思えないほどすさまじいものでした。その母や父が経験したつらい過去、私達はそれをひきづいていかなきゃいけませんね。
 ・・・言いたい事は沢山あるけど、文章では全部を伝える事ができません・・・。
でも、私たちはちゃんと覚えていたいですね。

投稿者 ☆夜の黒蝶☆ : 2006年06月26日 10:50



平和の礎には、親父の弟と妹の名前がある。
戦争がはじまり 壕のなかで身をひそめていたとき
親父の弟は病気になりどうすることもできず2才で息をひきとった
で、親父の妹は壕のなかで産まれたらしく 同じくどうすることもできずに
産まれて間もなく息をひきとった・・・

直接 戦って亡くなったわけではないが
これもまさしく戦死と思う。
いや、まさしく戦死だ。

今の世の中じゃあ考えられない・・・
想像もつかない・・悲惨な出来事だと思う

昨日、家族で平和の礎に手をあわせにいった!
毎年家族でいく

親父が年に一度 涙を見せる日だ。

ちなみに親父は、8名兄弟(現6名)

めちゃくちゃ仲のいい兄弟
(周りが羨むくらい)

その仲のいい裏には悲惨な出来事があるのが うそのように・・

戦争・・・この世で1番みにくく、無意味なこと。

平和・・・この世で1番美しく、幸せなこと。

投稿者 匿名 : 2006年06月26日 15:21



>みんなへ

大げさな事は出来ないかもしれないけど、
「自分の次の世代」に何を残せるかだはずね。

心のこもった書き込みありがとう。

投稿者 ひーぷー : 2006年06月26日 16:02



遅れてすみません・・・_| ̄|○

ちゃんと黙祷しましたよ♪

12時ジャストは出来なかったけど(商談中だった)

息子がいるんだけど、こういう体験談とか聞いたりする事は

どんどんさせて行きたいねぇ・・・

投稿者 しのぶ : 2006年06月26日 16:56



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